兵庫・尼崎総県【広布の電源地の使命を果たす】

 

昭和初期には、

全国の火力発電所総出力の31%を占めた

工業の街・尼崎。


かつては、”公害の街”と呼ばれたが、

近年は関西で”住みやすい街1位”に選ばれるなど、


大きな変貌(へんぼう)を遂げ、

三変土田(さんぺんどでん)の実証を示している。


発展著しいこの地で、地域貢献に汗する尼崎総県

(尼崎王者県、尼崎常勝県、尼崎大勝県、尼崎勇勝県)の友。

 

広布の舞台である同市内の随所に、池田先生の足跡が残っている。

 

先生が初めて会合で尼崎を訪れたのは、

1957年(昭和32年)12月2日。


以来、折あるごとに訪問し、


”尼崎は尼崎らしく”


”ここから大人材が出る”


”広布の電源地・心臓部である”等、


同志の指針となる指導、激励を送ってきた。

 

なかでも、尼崎の同志にとって忘れ得ぬ師弟の歴史がある。

 

62年(同37年)1月24日、

尼崎体育会館(当時)で行われた

関西の男子部幹部会。


先生が事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕された

「大阪事件」の判決前夜だった。


先生は集った1万2000人の青年を前に宣言した。

 

「次の世代にバトンを渡すまで、

なんで自分の生命が惜しいものか。

 

善良な市民を苦しめている権力とは、

断固、一生涯戦う!」

 

「私たち地涌の菩薩は、日蓮大聖人の弟子として、

その自覚と信念に立って、不幸な人びとの

味方となっていくのです。

 

そして本当に、全民衆が、すなわち日本国中の

人びとが、安心して幸福に暮らしていける世の中を

築き上げようではありませんか!」

 

烈々たる獅子吼から本年(2022年)で

60星霜(せいそう)。

 

今、尼崎には、庶民が輝く未来の建設を目指し、

師の正義の魂を継ぐ若き力が躍動している。

 

 

中川 勝成さん(圏男子部書記長)は、

生まれも育ちも尼崎。


20代の時、家族の借金や事故など幾多の宿命の嵐に襲われた。

再起をかけて、介護の会社を立ち上げるとともに、
男子部の活動に挑戦。


活動に励む中で自然と、けんかの絶えなかった家族に笑顔が戻り、仕事の依頼が多く舞い込むなど、

信心の功徳を実感した。


歓喜のままに、信心根本の実践に挑み続け、

今では経営する会社は従業員35人以上に拡大。

五つの事業所を構えるまでになった。


中川さんは、”信心に不可能はない”との確信をメンバーに伝えながら、報恩の心で立正安国の対話に駆けている。

 

高木総県長、田原同女性部長は固く誓う。

 

「”勝利が使命の尼崎”は、

師弟誓願の祈りと 日本一の団結で

師弟の月・7月を断固、勝ち飾ります!」

 

 

〜2022.6.21 聖教新聞 〜

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